源氏誕生~十ニ歳 |
いずれの御代であったか、女御(にょうご)・更衣(こうい)といった大勢のお妃たちの中にさほど高貴な家柄ではないが、帝のご寵愛のきわめて深い桐壺の更衣という方があった。他のお妃たちの嫉妬を買い、いろいろな嫌がらせを受ける。 桐壺の部屋は帝の御座所の清涼殿から最も遠い淑景舎(庭に桐が植えてあるので桐壺と呼ぶ)で、参上の折は他のお妃たちの部屋の前を通 らねばならぬ。それが度重なるので、心穏やかでない人たちは、その通 り道にけしからぬ物を撒いたり、戸を閉めて通れないようにしたりして困らせる。 その内に玉のような皇子が生れた。あまりにも美しく帝はとても大切にされるので、第一皇子の母君弘徽殿の女御は桐壺に敵意を抱く。桐壺は心痛のあまり病勝ちになり、皇子三歳の夏、病重くなり里下りの後、間もなく他界する。帝は悲嘆のあまり政も怠りがちだったので、桐壺に大へんよく似た先帝の四の宮を迎えることになる。藤壷(飛香舎)の宮と呼ぶ。 帝は美しく聡明な皇子を愛し、皇太子にしたいとも思うが、しっかりした後見人もなく、また高麗(こま)人の人相見が、皇子とも知らずその人相を見て「帝王の位 にも上がるべき相だが、そうなると国が乱れるだろう。さりとて臣下で終る相ではない。」と占った事などを思い合せて、この皇子のしあわせの為に第一皇子を皇太子に立てられた。 皇子は十ニ歳で元服して源姓を賜わり、臣籍に降下。加冠(かかん)の役をつとめた左大臣の姫君葵の上と結婚する。源氏は母にそっくりと聞く藤壺の宮を慕い、長ずるに従いその思慕の情が次第に昂じて恋心を募らせるようになる。 |